井谷 衣里
Itani Eri
初めまして、井谷衣里です。
本サイトにご訪問頂きまして誠にありがとうございます。
このサイトでは、
私が合同会社ブライトシーンの代表としてだけではなく、
1人の女性としての想いや、考え、活動をご紹介させていただきます。
女性起業家の活躍で日本の変革をもたらし、
皆様に幅広く情報を提供していきたいと思います。
私は今まで保健師という職種で多くの方の相談を受けてきました。
その数は2万人以上は軽く超えています。
働いている人の悩み、子育ての悩み、子供の教育の悩み、老後の心配など多岐にわたっていました。
その悩みの解決をするために会社を設立しました。
こちらも真剣に耳を傾けますが、その悩みは減るどころかむしろ益々増えています。
どうしてだろう・・・
何か間違っているのではないか?
そんな素朴な疑問をたどり、以前やっていた会社を売却しました。
売却の目的は、新たな会社の成長を考えたときに、新しい経営者の力が必要と感じたからです。
そして、現在の新会社と今は向き合って進めています。
偶然にも1冊の私の日記が出てきました、中学生時に書いたものです。
そこには入学直前から卒業までの期間、自分の気持ちが詰まっていました。
しかし、書かれていることが今の自分とは違うのです。
それは成長ということもあるかもしれませんが、
自分が思っていた自分ではなかったのです。
不思議でした。
そこで当時を振り返ったときに、40年記憶から封印されていたものが頭に浮かんできました。
そしてそれがどうして封印されるに至ったのかを偶然知ったのです。
きっと多くの受験生が困っているに違いない・・・
そして親もどうやって子供の教育と向き合えばいいのかのヒントになるかもしれない。
それからそれは学生だけではなく、普通に働いている人にも同じことが言えるのです。
そして、現役を終えた方にさえも・・・
現在の会社を進めていく中で、自分自身とも向き合う時間が圧倒的に増えました。
私は起業する前、転職回数が多かったタイプです。
今では転職回数は前以上に問題視されませんが、昔はワケあり人間としか見られませんでした。
仕事での重責と個人的なストレスなど多くの働く人が抱える問題を自分も体験していました。
しかし、勇気をもって私は起業しました。
そして、人生が一変したのです。
女性が起業することで周囲も変化が起こってきます。
私の家族もそうでした。
母親が起業すれば、子供も変わってきます。
子どもは常に親のやっていることに興味があるからです。
日本経済を牽引し、変革をもたらすのは起業だと思います。
私はまだやらなければならない。
やるべきことがここにある。
困っている人の力となり、伴走者でなければならない。
俳優さんが舞台で死にたいと言いますが、私も同じ。
生涯、挑戦しつづけることで自分の人生を全うしたいと思っています。
これからも、井谷衣里を宜しくお願いします。
経歴
1970年埼玉県生まれ。
看護学校卒業後、大学病院に就職、病棟看護師として活動開始。短期大学専攻科卒業後、大手企業で保健師として産業保健を中心に活動し、地域保健にも従事。予防医療としての経験を活かし、保健指導専門の会社を創業、その後株式譲渡および会社売却。
現在は人へのサービスを中心とした起業支援、人材紹介、研修セミナーなどを行う、合同会社ブライトシーンで代表を務める。
1970年
1992年
1995年
1998年
2002年
2003年
2005年
2006年
2020年
2021年
2023年
埼玉県生まれ
日本大学医学部付属看護専門学校卒業
日本大学板橋病院 入職
順天堂医療短期大学卒業本大学板橋病院 入職
㈱富士銀行 本店健康管理センター入職
㈱ブリヂストン 本社健康管理センター入職
東京都御蔵島村役場入職
㈱スタッフサービス・ホールディングス 労務部健康管理センター入職
栗田工業 本社医務室入職
ほけんし㈱ 代表取締役就任
合同会社ブライトシーン 代表社員就任(現職)
ほけんし㈱ 株式譲渡および会社売却、取締役就任
ほけんし㈱ 顧問就任